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2013.06.30

北東北の春 06 田野畑~島越、田老~宮古

県道44号線で北山崎を過ぎて、田野畑村明戸。

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河原のようにみえますが、津波で更地になったのかしらん。

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このあたりに、キャンプ場があったようです

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どういう力が加われば、こうなるんだ・・・。

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明戸は、こんなところです。

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明戸からすぐ、三陸鉄道北リアス線の田野畑駅です。
今年の元日以来の訪問

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この桜のペイントは、田野畑駅営業再開時にネスレ日本協賛企画 『キット、ずっとカンパネルラ田野畑駅』 で描かれたものです。
『カンパネルラ田野畑』は田野畑駅の愛称。由来はもちろん「銀河鉄道の夜」。

ここから南の、田野畑-島越-小本は未だ不通ですが、2014年4月に南リアス線も含めた全線が復旧する予定です。 ヽ( ・∀・)ノ

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梅と桜と、碑。

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海抜18mの田野畑駅まで、津波は押し寄せました。


田野畑から県道44号をさらに下ると・・・ 何このトンネル?

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あ、これ北リアス線だ・・・

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田野畑~島越は、ほとんどがトンネルなのですが、トンネルとトンネルを繋ぐ高架橋が完全に破壊されてしまったみたいです。

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この区間の復旧に時間がかかるのも納得。

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先ほどのトンネルを抜けた先が島越駅 (しまのこしえき) ですが、駅舎は宮沢賢治の石碑を除いて全て流失してしまいました。

ぱっと見、ここに駅があったようには見えないな・・・

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それでも復旧工事は着々と進んでいるようで、三陸鉄道さんの諦めの悪さには脱帽! ( ´∀`)ノ


島越を過ぎれば、小本駅 (おもとえき)。
えーと、ここは4回目の訪問です。

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小本駅は震災からわずか18日で営業再開した駅で、切符の委託販売が行われています。

俺 (  ・∀・)  『小本から田野畑の切符って、販売してるんですか?』
店員さん( ´∀`)  『ありますよ。』

てなわけで、不通区間の硬券切符購入。
しまった、日付インクが掠れた・・・

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復旧工事が無事予定通り進みますように。


そして田老 (たろう) の街へ。
国道45号線沿いに、住宅街だったと思われる更地が続きます。

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田老駅です。

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津波は田老駅ホームまで押し寄せ、線路は瓦礫で埋まってしまいましたが、震災のわずか9日後には、宮古~田老間で運行が再開されました。 スゴイ!

詳細は国土交通省東北運輸局の冊子 『よみがえれ!みちのくの鉄道』 を参照のこと。

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田老堤防の向こうに出られるようなので、行ってみます。

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・・・。

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これは、ゲートだけが残ったのか?

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港湾施設の復旧工事は、未だ継続中みたい。

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負けんな田老!


田老から、三陸鉄道北リアス線の終点、宮古です。

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宮古駅訪問は通算5回目? かな?

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JR東日本の山田線は、三陸縦貫線の一部である宮古~釜石間が未だに不通です。

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宮古市街の海岸線にて。 3.6kmにわたって浸水したのか。

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つづく。

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2013.06.22

北東北の春 05 久慈、野田、普代

蕪島からの続き。

八戸の蕪島から海岸沿いの県道1号線を南下して、八戸線の種差海岸駅 (たねさしかいがんえき) です。

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八戸から南へ向かうには内陸の国道45号線の方が早いのですが、バイパス国道を走ってもつまんないので八戸線沿線の道をのんびり走ります。

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駅名の通り、種差海岸です。

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この砂浜より南から海岸段丘が始まり、海岸は急激に険峻な地形に変わります。

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ちなみに、三陸沿岸は宮古市を境に北側が海岸段丘、南側がリアス式海岸となっています。

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絶景絶景。


さらに下って階上駅 (はしかみえき)。 陽も暮れてきたし、ここからは海岸沿いの道が狭くなるので国道45号線へ。

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今夜の宿は久慈です。 これは道の駅くじ やませ土風館に展示されている、久慈秋祭りの山車。

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三陸の海産物で飲んだくれます。 ( ´∀`)


翌朝、雨の三陸鉄道久慈駅前。

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えーと、久慈駅は3回目の訪問かな? たぶん。

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隣にあるJR八戸線の久慈駅は改装中でした。

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久慈はNHK朝の連ドラ『あまちゃん』の舞台。 推してますね!

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さて、久慈市街から車で30分弱の久慈琥珀博物館です。

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久慈は日本で唯一、琥珀の商業採掘が行われている土地。 久慈の琥珀は歴史が古く、江戸時代は南部藩の財源となっていたそうです。

琥珀 (こはく) ・・・ 樹液が化石化した宝石。 擦ると静電気を帯びやすく、ギリシア語で琥珀を意味するエレクトロン (elektron) は英語の electro- の語源なのだそうです。
また、女性名の 『エレクトラ』 は琥珀色の瞳を持つ女神の名に依ります。

館内は撮影禁止ですが、屋外に見学用琥珀坑道跡があります。

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この坑道は大正時代からのもので、戦前は軍艦の防錆塗料やレーダーの絶縁体に久慈の琥珀が利用されたそうです。

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琥珀の露出坑壁。 中生代白亜紀だそうな。

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宮沢賢治の企画展示があったりして面白かったです。


琥珀博物館から市街に戻って、再び『道の駅くじ やませ土風館』
昨夜は閉店後だったので再訪です。

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なんか妙にエロい感じのこの海女さんキャラは『こはくちゃん』

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道の駅オリジナルキャラとは珍しきかな。


久慈から国道45号線を南下して、三陸鉄道北リアス線陸中野田駅・道の駅のだ です。

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鉄道駅と道の駅が合体した珍しい駅ですが、幹線道路沿いの駅ならば鉄道利用活性化には有効な方式だと思います。

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陸中野田を過ぎると海岸線へ。
道路沿いに北リアス線の真新しい線路が併走します。

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そうか、このあたりは線路が津波で流失した区間なのか・・・。

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白井海岸を抜けると普代駅です。

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普代駅から海岸線の県道44号線に入って、普代水門です。

普代水門は、1984年に完成した普代川の水門。
明治・昭和の大津波の教訓から建造されたこの水門は、2011年の大津波の衝撃に耐えた希有な防潮施設です。 この水門が津波を遮ったため、普代村は津波の被害を免れることができました。

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顕彰碑には、水門建設を推進した和村幸得村長(当時)の言葉、『二度あったことは、三度あってはならない』 が刻まれています。

水門の外側には、津波の痕跡が深く・・・。

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こちらも同じく、和村村長による普代村の太田名部防潮堤。
1967年完成のこの堤防も大津波に耐え、村民の命を守りました。

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政治家とは、かくあるべし。


雨と霧がひどいですが、黒崎の北緯40度シンボル塔です。
2日前に訪れた入道崎と同じ緯度か。

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ガスで展望台からは何も見えず・・・

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つづく。

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2013.06.12

サイゴン

ホーチミン・シティ、旧サイゴンより帰還。

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次回から東北の話に戻ります。

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2013.06.09

ホーチミン

ホーチミン
水曜日まで、ベトナムに飛ばされてきます。

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2013.06.06

北東北の春 04 蕪島のウミネコ

八戸の蕪島です。
ここはウミネコの繁殖地として国天然記念物に指定されており、一般人がウミネコの巣を間近で観察できるのはここだけらしいです。

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ウミネコはカモメ科の海鳥で、ニャーニャー鳴くのと、紅を塗ったようなクチバシの赤黒模様が特徴です。

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なお、カモメは渡り鳥ですが、ウミネコは留鳥。
留鳥といっても、繁殖のために集団で移動するようで、蕪島のウミネコは春に南方から飛来し、産卵・子育てをして初夏にまた南方へ飛び去るそうです。

つまり、蕪島でウミネコの大集団が見られるのは春~初夏の季節だけなのです。

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蕪島の頂上には蕪嶋神社があります。
以前にも書いたことがありますが、蕪島は戦前まで島でしたが、旧海軍の埋め立て工事で現在は陸続きになっています。

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ウミネコの爆撃 (フン) を警戒しながら参道を登ります。

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4.1m、1933年の昭和三陸大津波の浸水高さ。
八戸は三陸海岸の北端にあたり、幾度となく津波に晒されてきた場所です。

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そして、2011年の東日本大震災では5.3mでした。

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ウミネコは目がちょっと怖い。

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蕪島のウミネコたちは野生なのでエサをやることは厳禁。
若干人に慣れているとはいえ、1mくらいまで近づくとパタパタ逃げていきます。 まあ、鳩みたいな距離感。

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蕪嶋神社の境内です。 石畳はフンで白マダラ。

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ウミネコの水飲み場になってしまうためか、手水はセンサー式。

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奇声をあげているのは、求愛なのか縄張り争いなのか分からん。

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足環つきの子。

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境内の外周を回ると、斜面に巣作りをするウミネコたちを見下ろすことが出来ます。 なにこれ・・・

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おまえら大杉だろ。

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裏手に回ったら、もっといた・・・

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こんな景色、ネイチャー系番組でしか見たことない。

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斜面の草原はアブラナで、蕪島の名の由来はこれによります。
カブはアブラナの仲間であり、同一視されたものと思われます。

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5月末頃になるとアブラナの花で黄色く染まった蕪島に、ウミネコの雛たちが卵から孵るのだそうです。

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水かき脚でも、とまれるんだ・・・。

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鳥の体は、実に良くできていると思う。

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諍い中。

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ウミネコの巣は、こんな感じの簡素なものです。

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こうして温めます。 近づいても意外と平気な顔してる。

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久慈行きの八戸線列車が通過していきます。

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年始に八戸線の列車内から見た蕪島はこんな感じでした。

八戸線の、八戸~鮫駅間の愛称 『うみねこレール八戸市内線』、ジョイフルトレインの 『リゾートうみねこ』 は蕪島のウミネコによるものと思われます。

つづく。

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2013.06.02

北東北の春 03 大石神ピラミッド・キリストの墓

十和田湖から、国道454号線で新郷村・八戸方面へ向かいます。

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案内表示がステキ。

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青森県から岩手県にかけて存在する ~戸という地名は、4を除く1から9まで、『一戸・二戸・三戸・五戸・六戸・七戸・八戸・九戸』 が存在します。

このナンバリング地名は、平安時代に陸奥国糠部郡 (ぬかのぶぐん) で制定された『四門九戸 (しもんくのへ)』 によるもので、順番の由来は諸説あります。
『四戸』は中世に消滅したらしく、これは四=死を忌んだもののようです。


新郷村に入って山道を下ると、キリストの墓が近づいて

え? ピラミッド!?

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バス停 www

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超気になるので即左折してピラミッドへ向かいます。

峠道をしばらく登ると、林道のような道を入ります。
大石神ピラミッドって言うのか・・・ 怪しい。

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すれ違い不可能な道を登ると、ピラミッドの頂上に到着します。

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ガーン。

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このピラミッドは、1935年に日本画家の鳥谷幡山が発見し、竹内巨麿の支持者・酒井勝軍がお墨付きを与えたという、数万年前に建造されたという由緒正しいピラミッドです。

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竹内巨麿 (たけうちきよまろ) なる人物は、昭和初期に設立された宗教・天津教 (あまつきょう) の開祖です。 天津教は神道・修験道・キリスト教の流れを汲む(?) 宗教で、竹内家に代々伝えられたという 『竹内文書』 を世に知らしめました。

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『竹内文書』 は、神武天皇以前の神代の記述や、ブッダ・モーセ・キリストが日本へ訪れた事跡などが記されており、『東日流外三郡誌』 などのように一般に偽書とされていますが、ムー的オカルトロマン要素満載、というかムー大陸の記述まであったりしてスゴイ。


国道に戻ってひた走ると、懐かしげなジョージア看板。
いよいよキリストの墓です。

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で、これがキリストの墓、十来塚 (とうらいづか) です。 マジか。

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なぜこの青森県三戸郡新郷村にキリストの墓があるのかというと、かの竹内文書に、『ゴルゴダの丘で処刑されたのはキリストの弟・イスキリであり、キリストはシベリア経由で日本まで逃れ、十来太郎大天空と称し106歳でこの地に没した』 との記述があり、新郷村 (当時は戸来村) を訪れた竹内巨麿が竹藪の中に土饅頭を見つけ、『これがキリストの墓だ!』 としたものだそうです。

これは新郷村とエルサレム市の友好碑。
協力者に駐日イスラエル大使・・・マジか。

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キリストが新郷村で没したという説には、多くの傍証があります。

1, 新郷村の旧名・戸来 (へらい) は、『ヘブライ』 が語源
2, 村に伝わる唄 『ナニャドヤラ』 の歌詞はヘブライ語に翻訳することができる
3, 代々塚を守る旧家の家紋である桔梗紋がダビデの星 (六芒星) に似ている
4, 子供の無病息災を願って額に十字を描く風習が伝わる
5, 村の野良着がヘブライの衣服に似ている

・・・など。

十来塚の隣にあるのが、イスキリを祀った十代墓 (じゅうだいぼ)。

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墓の脇に、キリストの里 伝承館があります。

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館内ではキリスト伝承から竹内文書関連の展示が見られます。


新郷村から国道454号線を東進して八戸市へ。

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蕪島です。

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つづく。

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