吉良さん
吉良に行ってきました。
幡豆郡吉良町は、2011年に西尾市に併合された町。
日本史や時代劇好きな方はピンとくると思いますが、ここは元禄事件・忠臣蔵で知られる吉良上野介義央公 (きらこうずけのすけよしひさ) のお膝元だったところです。
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ここは片岡山華蔵寺、吉良家菩提寺の一つ。
場所はここいらへんです。
吉良家は源家足利氏の名門、江戸期には旗本高家肝煎 (典礼を司る役職) として徳川将軍家に仕えましたが、吉良上野介義央公は大石内蔵助ら赤穂浪士に殺害され、三河吉良家は改易・廃嫡されてしまいました。 (後に子孫が復姓)
時代劇や歌舞伎の忠臣蔵では悪役とされる吉良上野介ですが、ここ吉良町では『黄金堤』による治水・新田開発を行った名君として慕われ、町民から『吉良さん』と親しまれています。
講談としての忠臣蔵では、吉良上野介が浅野内匠頭に陰湿な嫌がらせをしたことが 「松の廊下刃傷事件」 の原因とされていますが、浅野内匠頭が即日切腹してしまったことで真相は藪の中、一説には浅野内匠頭の誤解・精神疾患が原因などとも言われています。
吉良義央公の墓。 ただし、実際に遺骸が葬られたのは江戸の万昌院功運寺だそうです。
吉良氏影堂、吉良上野介義央公の木像 (県指定文化財) はこの中に納められていますが、盆や命日などを除いて非公開となっています。
吉良公家臣供養塔、赤穂浪士の討ち入りで死亡した家臣の墓。
碑文によると吉良方は26名の死者を出しているようです。
赤穂浪士の夜襲に奮戦した末に討ち死にした家臣もいれば、訳も分からず斬殺された者、中にはトンズラしようとして討たれた者もいるようです・・・
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吉良義央公が唯一遺したと伝わる経蔵。
この経蔵は、吉良さん 300回忌(2002年)に復元修理されています。
復元修理の棟札、
『おらが殿様、慕い続けて三百年 ・・・』
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