四国周遊10 別子銅山
新居浜駅からレンタカーで1時間弱、細い山道を登って別子銅山です。
ここはマイントピア別子・東平(とうなる) ゾーン。
『東洋のマチュピチュ』 のキャッチコピーで俺のハートを鷲掴みにした東平貯鉱庫・索道停車場跡です。 ↓画像クリック拡大
上から見るとこんなん。 (゚∀゚)!
別子銅山(べっしどうざん) ・・・ 愛媛県新居浜市にあった銅鉱。 江戸時代に発見され、住友一族の経営により一時は世界最大の銅産出量を誇りましたが、1973年に閉山されました。 先述の通り、この銅山は住友財閥のルーツであり、皇居の楠木正成像は別子の銅を用いて造られています。
↑のマリオっぽい物は索道(リフト)停車場跡。
かつてここは、屋根に覆われた巨大建築物だったようです。
花崗岩造りの貯鉱庫は1905年(明治38年) の建築と言われています。
別子銅山最盛期には、この険しい山岳地帯の東平地区に3800名の鉱山関係者とその家族が住み、学校・病院・電車までもがありました。
長崎の軍艦島と全く同じ歴史を辿った、近代遺産です。
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赤煉瓦の建物はかつての保安本部、現在はマイン工房(銅板レリーフ制作体験施設)になっています。 また、保安本部から延びるこの階段の下は、通洞を走る電車のプラットホーム跡です。
東平から見える新居浜市街と瀬戸内海。
よくぞここに街を築いたものです。 ただただ、凄いと思う。
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さて、脇道に入ると娯楽場・病院跡とのことなので行ってみます。
娯楽場! ガーン!
資料館の模型によると、かつてはこんな感じだったようですが・・・
ラピュタ状態です。
※このあたりはあまり整備されてないのでトレッキングシューズを履いてないと厳しい
次は病院跡。
門しかない!
廃墟というレベルじゃなくて、ここで働いていた人々、この街で育った子供たちが、当時どんな暮らしをしていたのか、そんな痕跡や匂いが全て消え去っていて。
もし、自分の生まれ育った街が、こんな風に消えてしまったとしたら、それはとても哀しい事だと思います。
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脇道をぐるっと回ると、再現された社宅跡。
傾いてるゥー!! ('A`)
これも傾いてるゥー。 ('A`)
もう一つの社宅は、潰れてるゥー。 ('A`)
再現したのに廃墟化してるって、レベル高いな・・・。
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今度は登山道方面へ登ってみます。
これは旧東平第三変電所。 通洞を通る電車のための変電設備です。
どうやら中に入れるっぽい。
中は宿泊施設っぽく改装されていますが、廃墟状態。
小綺麗にはなっていますが、見学用に整備されているとは言い難い状態です。
階段は昇れるっぽいので、昇ってみます。
どうも畳敷きの2階を後付けで造ったっぽい。
床板が抜けそうでおっかないので、早々に下へ降ります。
煉瓦造りは、やっぱりイイ。
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変電所のそばに第三通洞跡。
先ほどの保安本部から電車がこの中まで走っていたのです。
キーストーン(要石) に住友の井桁が。
中は入れませんが、レールは今でも残されているようです。
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近年まで、ほぼ放置状態で風化していた別子銅山の遺構は、現在産業遺産として見直され、整備が進められています。
本当に、こんな山の中に街があったなんて。
つづく。