北海道・青森岩手行 04 (稚内・宗谷)
さて、ここから一人旅です。
札幌1748発、稚内2247着のスーパー宗谷3号。
キロハ261、LEDのヘッドマークは天北(天塩・北見)の地図です。
スーパー宗谷の運行時間は約5時間、営業キロ396.2km(換算キロ422.1km)、この営業キロは東京~名古屋間を超えます。
換算キロ ・・・ 実際の路線距離である営業キロ (厳密な距離は建設キロ) に対し、採算が合うように運賃を割り増しするために定められる距離。 JRの場合は地方交通線(時刻表路線図で青線表示の路線) にこれが適用されます。 地方交通線は、ぶっちゃけ通常運賃では赤字になってしまう路線のこと。 営業キロ・換算キロは時刻表の各線始発のページに載っていますので、これから運賃を算出できます。
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三浦綾子の『塩狩峠』を読みながら塩狩峠を越えます。
塩狩峠 ・・・ 旭川の北約25kmにある峠。 1909年にはこの峠で連結器が外れた客車が暴走する事故が起こり、鉄道院職員の長野政雄が自身の体を線路に投げ出して客車を停止させて乗客を救い、死亡しました。 彼をモデルとして三浦綾子(1922-1999) が小説を執筆、後に映画化されました。 小説は、キリスト教の隣人愛と自己犠牲の精神をテーマとした宗教色の濃いものですが (三浦氏・長野氏はともにキリスト教徒) 、いろんな意味で考えさせられる内容ですので是非ご一読をおすすめします。
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2247、ようやく稚内へ到着。
名寄を過ぎたあたりで、 『これより当列車は野生動物の多い地域を通過いたします。動物との衝突を避けるためやむなく急停止する場合がございます』 とのアナウンス。
で、3回ほど急ブレーキ&警笛連発がありました。 これが宗谷の日常か・・・
この列車が稚内駅の終着列車。 5分後に消灯されました。
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翌朝、最北端宗谷岬を目指して出発です
道路案内にロシア語が。 北を実感。
最初、バスで行こうかと思ったんですが本数が少なすぎて断念、レンタカーで北を目指します。
海岸沿いの国道238号オホーツクラインを北上すると、岬と風車が見えてきました。
ざざーん、と最北端到着!
ガキの頃、ここに来てるはずで写真も残ってるけど記憶にない・・・
晴れていれば樺太(サハリン)が見られるらしいのですが、残念。
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ここで北方領土と樺太の基礎知識。
緑:ロシア領、桃:日本領、灰:所属未定地(露実効支配)、橙:日本領(露実効支配)
皆さんもご存じの通り、太平洋戦争終結直前に日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が千島・南樺太を侵攻、日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島と南樺太の放棄を宣言しますが、千島列島の定義が曖昧であったことと、日ソの交渉に米が介入したため北方四島は領国が確定しないまま現在に至ります。
個人的感情では、シベリア抑留の件も含めてソ連の火事場泥棒的行為に腹が立つというか、当時の各国の帝国主義が露骨に見えてしまって、第二次大戦で日独だけが未だに悪者になってる現代の風潮に釈然としないのであります。
って、書くと自称平和主義者な左翼人たちに怒られるんだなこれが。
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間宮林蔵、近代において樺太が島であることを確認した漢。
ちなみに樺太の面積は7.6万平方kmで、北海道本島よりやや小さい程度。 稚内から宗谷岬に来る途中に 『間宮林蔵渡樺出港の地』 記念碑もあります。
樺太の歴史
~1800年 アイヌ・ウィルタ・ニヴフなどの先住民族が混在
~1875年 日露で領有権を巡って対立 (この間に明治政府成立)
~1905年 樺太千島交換条約(サンクトペテルブルグ条約) で日本は千島列島を領有する代わりに樺太を放棄、樺太全島がロシア領となる
~1945年 日露戦争・ポーツマス条約で日本は樺太の南半分を得る
1945年~ 日ソ中立条約を破ったソ連軍が南樺太へ侵攻し、占領。
サンフランシスコ講和条約で日本は南樺太を放棄しましたが、ソ連はこの条約に調印していないため、日本政府は 『国際法上、南樺太は所属未定地である』 と主張しており、日本で出版される世界地図で南樺太が白抜きになっている理由はこのためです。
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宗谷岬歌碑に近づくとセンサーでダ・カーポのヒット曲『宗谷岬』が流れ始めます。
音声は千葉紘子版らしい。 は~まなす揺れる~宗谷の岬~♪
最北端のお土産屋。 中には流氷館が。
最北端のオンパレード。
これが噂の最北端トイレ。
岬の丘に建つ旧海軍望楼。 すぐ近くに大韓航空機撃墜事件の慰霊碑も建ちます。
本日の気温は5℃、風速7m。 早春の長野か真冬の東京くらい。 寒。
岬から内陸に入ると、宗谷丘陵の周氷河地形が見られます。
周氷河地形 ・・・ 2万年前の氷河期末期に、氷河周辺部の土壌が凍結と融解を繰り返して出来た地形。 宗谷丘陵は、日本国内で周氷河地形が明瞭に観察できる唯一の場所。
丘陵には牧場と電波塔、虫食いのような周氷河に残雪。
海岸線に戻って再びオホーツクラインをオホーツク海沿いに南下。
オホーツクラインには、独特のパーキングシェルターが存在します。
暴風雪・地吹雪がそこまで深刻なのか・・・
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北オホーツク道立自然公園、クッチャロ湖に到着です。
つづく。
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