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2009.05.25

北海道・青森岩手行 05 (天北・稚内)

汽水湖・クッチャロ湖は白鳥&鴨の中継地。

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鳥大杉。

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ところでドライブルートはこんなんです。 だいたい6時間くらい。

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なんであいつらこんなに首が長いんだ。 (クリック拡大)

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白鳥&鴨派閥と、カモメ派閥。

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ここの白鳥と鴨は人を恐れなさすぎる。(クリック拡大)

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こいつらも手から餌を食います。

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白鳥はともかく、君は人に喰われる可能性もあるのだが。

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白鳥はクチバシがでかいので油断すると手首を持って行かれます。

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クッチャロ湖から西方内陸部に入ると原生林、そして牧場が点在するようになります。

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サロベツ原野も見たかったけど、時間的に不安だったので国道40号豊富バイパス~稚内国道で一気に稚内へ。

野寒布岬です。

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かすかに利尻島の利尻富士が見えます。

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岬の高台、稚内公園の樺太島民慰霊碑 『氷雪の門』。

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『九人の乙女の碑』。 真岡郵便電信局事件で自決した9人の女性電話交換手の慰霊碑です。

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真岡郵便電信局事件 ・・・ 太平洋戦争終戦時、日本が無条件降伏した後も南樺太・千島に侵攻を続けたソ連軍により、戦禍に襲われた樺太真岡郵便電信局で最期まで交換業務を続けた9名の女性交換手が服毒自決した事件。
真岡と通信を続けていた泊居郵便局の記録によれば、 『電話主事補さんはもう死んでしまいました。 交換台にも弾丸が飛んできた、もうどうにもなりません。 局長さん、みなさん、さようなら長くお世話になりました。おたっしゃで・・・。さようなら・・・』 という声を最後に通話は途絶えたそうです。

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樺太犬訓練記念碑。  タロ・ジロを始めとする、南極基地で活躍した樺太犬たちの功績を称えるものです。

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彼らはこの稚内公園で訓練を受け、南極へ旅立っていきました。

(-人-) 合掌

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開基百年記念塔。 海抜170m+タワー80mです。

タワーと聞いちゃあ登られずにいられようか。

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展望台から。 海に浮かぶ利尻富士がステキ。 (クリック拡大)

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稚内駅・稚内港周辺。

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稚内駅。

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稚内港の北防波堤ドーム。

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宗谷岬。 煙っててよく見えない。

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南稚内。 稚内の中心部はこちらです。

稚内駅は本来、港と直結するための駅でした。 かつては樺太へ渡る中継地点として発展したようです。

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稚内駅からほど近い『稚内副港市場』。

かつて存在した、稚泊連絡航路の連結駅 『稚内港駅』が再現されています。

1939年(昭和14年)に、旧 稚内港駅 → 現 稚内駅、 旧 稚内駅 → 現 南稚内駅 、と改称されていますので、この稚内港駅は現在の稚内駅の前身にあたります。 南稚内駅周辺の方が中心街にある理由はこれなんですね。

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稚泊(ちはく)連絡航路 ・・・ 旧鉄道省により、1923年(大正12年)~1945年の終戦まで営業された稚内と樺太大泊を結ぶ連絡航路で、航行時間は約8時間でした。 後に稚内と樺太本斗を結ぶ稚斗航路が民間会社により開設されましたが、こちらも終戦の樺太喪失に伴い廃止されています。

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船首が突っ込んでいる物産売り場。

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レンタカーを返却して、駅からブラブラ歩くと北防波堤ドーム。

これ、1936年完成の歴史ある建造物です。

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稚泊航路があった頃には、鉄道路線がこのドーム内まで延長され 『稚内桟橋駅』 が存在しました。

↓ 当時の桟橋駅ホーム、稚内副港市場展示パネルより

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稚内桟橋駅は構内は二階建てで売店・食堂などもあったそうで、当時は活気のある駅であったと想像されますが・・・、この駅も終戦と同時に廃止されました。

つづく。

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