八面大王に直接の関連はないと思われますが、安曇野の史跡と言えばここ式内名神社・穂高神社です。
昨年末に社殿が新築され、今年5月に大遷宮祭が行われます。
銅葺きがぴかぴかでカッコイイ (*´д`)
穂高神社の祭神は、
穂高見命(ホタカミノミコト) ・・・ 穂高岳に天降った海神。安曇族の祖神。
綿津見神(ワタツミノカミ) ・・・ 海神。穂高見命の父、イザナギの子。
瓊々杵尊(ニニギノミコト) ・・・ 農業の神。アマテラスの孫、コノハナサクヤの夫、
___神武天皇の曾祖父。
天照大御神(アマテラスオオミカミ) ・・・ 高天原を統べる太陽神。イザナギの子。
阿曇比羅夫(アヅミノヒラブ) ・・・ 後述
信濃中将(シナノノチュウジョウ) ・・・ 延命長寿立身出世の神。御伽草子ものぐさ太郎のモデルとされる。
安曇族の祖神が海神であることから分かるように、安曇族は海人系の集団だったようです。 古来の本拠地は福岡玄界灘沿岸地域だったそうで、そこから畿内・三河・信濃などへ展開していったのではないかと言われています。
ちなみに社殿建築中はこんなんでした。(08年9月撮影)

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境内に建つこのシブイおっさんは阿曇比羅夫。
阿曇比羅夫 白村江の戦い(663年)で戦死した倭国の将軍。安曇族の英雄として崇拝されています。
時代背景を簡単に説明すると、
660年 唐&新羅が百済を攻める → 百済滅亡、遺臣・鬼室福信らが百済復興を図る
661年 中大兄皇子の命により、百済と同盟していた倭国に人質として滞在していた
_百済の皇子・扶余豊璋が阿曇比羅夫らの水軍とともに百済復興のため朝鮮へ渡る
662年 扶余豊璋が鬼室福信と対立、殺害 → おかげで百済軍がヘタレ化
663年 白村江で 唐&新羅 vs 百済&倭国 の海上決戦
__→ 百済&倭国ボコボコ、阿曇比羅夫戦死、扶余豊璋逃亡
__→ 倭国水軍は撤退、後に防人による大宰府整備
このあたりの日本の貧乏籤っぷりは、唐→ロシア・ソ連に置き換えると近代史そのまんまですね・・・。
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さて、こちらの像は犀龍に跨る日光泉小太郎。

泉小太郎伝説は、松谷みよ子の『龍の子太郎』のモチーフになっています。
__安曇野の伝説日光泉小太郎 大昔この安曇野一帯が漫々と水を湛えた湖であった頃、この湖に犀龍と云う者が住んでおりました。
__この犀龍と東高梨の池に住む白龍王との間に男の子が生まれましたので、日光泉小太郎と名づけました。
__母の犀龍は自分の姿を恥じて水底深く隠れ住んでおりましたが、小太郎は母をたずねさがし熊倉下田の奥の尾入沢と云う処で初めて母に逢うことが出来ました。
__この時犀龍は、「私は諏訪大明神の化身である、これからお前と力を合わせて、この湖の水を落し陸地として人が住めるように致しましょう」と語って山清路の大岩をつき破り更に水内橋下の岩山を開いて安曇、筑摩両郡にわたる平野を作りあげそれ以来この川を犀川とよぶようになったと伝えられています。
__又、小太郎の父白龍王は海津見神であり小太郎は穂高見命の化身といわれ治山治水の功績を称えております。
(石碑説明文より)
この類話として、上田市の別所温泉にも同様の伝説があります。
まー、おそらく河川の氾濫・土石流の口伝と神話が融合した類のものでしょうか。
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さて、安曇野から北国西街道(現国道403号線)を40kmほど北東、千曲市の森将軍塚古墳群です。
森将軍塚古墳は全長100m、長野県最大の前方後円墳。有明山の尾根(赤矢印のところ)に古墳群が復元されています。
古墳群は長野県立歴史館・千曲市森将軍塚古墳館から徒歩20分ほどで到着。
この古墳の主は不明ですが、5世紀あたりの豪族と考えられています。
古墳の上からは善光寺平が一望可能。

正面に飯縄&黒姫、左手に長野新幹線、右手に上信越自動車道・更埴JCTが見えます。
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どーして八面大王から森将軍塚へ話が繋がるのかっていうと、(これは俺の脳内妄想なんですが) この古墳は安曇族系列の墳墓、だったんじゃないかと。
妄想の根拠 (?)
1, 有明山という共通した名前の山に残る大型古墳
2, 千国街道・姫川を遡ると安曇平へ到達するのと同様、北国街道・千曲川を遡れば
__ここへ辿り着く
3, ここから北国街道(国道18号)を15kmほど南下すると鼠なる地名があり、鼠が洪水
__を引き起こす民話がある
まー、妄想だけあってどれも薄弱なものです。
坂城町の鼠に関しては、ねずみ大根という鼠の尻尾のようなチョロ髭の生えた地大根がありますので、これが元ネタの可能性が高い気がします。

古墳の近道ルートは若干ヘビーだったぜ。
これにて八面大王フィールドワーク終了! ちょん。
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ちょいと足を伸ばして善光寺参拝してきました。
門前町、好き。