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2009.01.26

八面大王考2

八面大王、第2回です。

こちらは八面大王のが埋められたという大塚神社。

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拝殿奥の祠が耳塚です。

ここの地名はズバリ『耳塚』。
耳塚→大塚に名前が変わっているようです。

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そして耳塚から北北西5kmほどのところに、が埋められたという立足地区が存在します。

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ここは地名と伝承が残るのみで足塚なるものは存在しないようです。

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ちょいと一息入れて別の昔話。

これは、有明山神社にほど近い松川村鼠穴地区にある鼠石。

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この岩にあいた小さな穴について言い伝えが多くありまして、

1, 有明山頂の金明水・銀明水の湧き穴に通じている (゚Д゚ )
2, それどころか善光寺まで通じている (゚Д゚;)
3, この穴に棲む鼠が膳椀を貸してくれたが、欠損した椀を詫びもせずに返した者がありそれ以降膳椀は出なくなった
4, ネズミ=不寝見 で、ここに豪族居館の物見があった

1~3は、全国共通で見られる抜け穴伝説と椀貸し伝説ですね。
4に関しては若干の信憑性が感じられます。

また、田村麻呂とともに安曇族を滅ぼした仁科氏の史書・仁科濫觴記(にしならんしょうき) によると、『ここに鼠賊(=アヅミ族?) が立て籠もっていたのを討伐した、ゆえにここを鼠穴と称する』 なる記述があるそうです。
本書には『八面鬼士大王と名乗る面を被った8人の首領』が登場しますが、彼らと鼠賊が同一の者かは不明です。

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さて、場所は移ってここは松本市筑摩(つかま)神社。

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ここにはを埋めた首塚があります。

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本殿の左手にある飯塚がそれです。

塚の石碑によると、

飯塚(鬼塚)の由来 桓武天皇の御代安曇郡の中房山の北、三社の岩やに八面大王またの名は魏石鬼と云賊住み群り出でヽ人民を長い間苦しめた 此の事帝に達し、田村麿将軍及雨宮殿吉田殿に鬼賊退治の宣旨が下された 一団となつて信濃に下向延暦廿年六月十一日朝神を奉じ中房山に攻入れは賊は敵対出来ず朝日に向う雪氷の消ゆるが如くその日の午頃魏石鬼を始め鬼賊悉く討亡ぼされた 長たる者の首三十六を持つて凱旋しこの地に塚を築いて葬り飯塚といい後に鬼塚と呼ばれるようになつた
昭和四十一年五月十七日 建之

首三十六、ですか。 うーむ。

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社名にもなっているこのあたりの地名 筑摩(ツカマ)は『塚魔』から来た、などという記録もありますが、これはちょいと眉唾かな。

ともかくこれで胴・耳・足・首 っとコンプリートです。

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しかし、八面大王とは一体何者だったのかという疑問に対する解答は結局得られていません。
そもそも『八面大王』 が個人を指す者なのか、それとも安曇族のリーダー達の総称だったのか、いやそもそも八面大王が安曇族だったのかもはっきりしません。
けれども、彼(彼ら)の伝承が一千二百年余り後の現代まで伝えられていることを考えると、この一件は当時の人々にとってはかなり大きな事件であったと思われます。
もちろん、敗者の力を大きく記すことによって相対的に朝廷の力を強大に見せる、という常套手段によって八面大王を人外の力を持つ鬼として流布した一面もあるでしょう。
ただ、菅原道真の例のように畏れとともに同情・哀悼の感情を多くの人々に抱かせた存在ではあるようです。

もうちょっと、余談的な話が続きます。

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2009.01.23

八面大王考1

やっと、八面大王フィールドワークのレポートです。

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魏石鬼八面大王 (ギシキハチメンダイオウ・ギシキヤメノオホキミ)
平安時代初期、信濃国安曇平を支配していた豪族。
東国の蝦夷平定(征服)を目論む朝廷より派遣された征夷大将軍坂上田村麻呂により討たれました。 これにより安曇族は滅亡し、安曇平は仁科氏の領土となります。
これらにまつわる伝承では、八面大王は 『安曇平の民衆を略奪などで苦しめた賊』、そして 『朝廷の理不尽な要求に反発し、民衆のために立ち上がった英雄』 という2つの顔を持っています。
これは東北蝦夷のアテルイ・悪路王伝説と共通しています。 こうして歴史、いわゆる正史から抹殺された人物には多大な興味を覚えますね。

八面大王伝説によると、田村麻呂は八面大王を討ち果たしたものの、彼の復活を恐れて遺骸をバラバラにして各所に封じたとされ、その胴・首・耳・足を埋めた場所が伝えられています。

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安曇野有数の観光スポット、大王わさび農場にある大王神社にが埋められたと伝わります。

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堂の奥に塚が。

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農場内には、八面大王が立てこもったとされる有明山宮城(ミヤシロ)の岩屋(魏石鬼窟)が再現されています。

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そしてこれは有明山。 標高2268m、安曇族の霊峰にして八面大王が本拠を構えた場所です。。

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有明山の麓には有明山を祀る有明山神社があります。

有明山神社は山岳信仰の社で御神体は有明山。
祭神は、手力雄命(タヂカラオ)・八意思兼命(ヤゴコロオモイカネ)・大己貴命(オホナムチ=大国主命)・天照大神(アマテラス)・天鈿女命(アメノウズメ)・金比羅大神(コンピラ)。
大己貴命と、仏教の神将である金比羅大神を除けば、天の岩戸伝説に関わる神ばかりです。
山岳信仰・修験道つながりで戸隠神社と関係してるのかな?

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神社のそばにはわさび農場にあったレプリカの実物、魏石鬼岩窟(ギシキノイワヤ)と呼ばれる石室古墳があります。

場所はちょっと分かりにくいのですが、有明山神社の北東すぐそばに宮城不動尊明王院という小さな堂があり、その右脇の山道を10分ほど歩くと辿り着けます。

小さな石仏がずっと続きます。これは夜来たらかなり怖いのでは・・・

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猿の群れとエンカウントしながら到着。

巨石マニアには堪りませんわ。(*´д`)

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岩窟の上には八面大王厄除観音堂が建ちます。

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こういった日本人のフリーダムな宗教観がちょっと好き。

現実的な話、この岩屋に八面大王が本当に立て籠もったのかと言えば、正直それは無いでしょう。岩屋はドルメンに過ぎず、この地方の豪族の墓と見られます。
また、田村麻呂に討たれた八面大王が立派な石室に埋葬されるはずもないので、この遺跡自体は八面大王とは無関係なのではないかと思います。
でも、ひょっとしたらこの付近で八面軍と朝廷軍との戦闘があり当時の人たちが戦死者を弔う祠を石室の上へ建て、それが石室と八面大王伝説を結びつけた、なんてことがあるのかも。 ああ妄想が広がる・・・

つづく。

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2009.01.22

鬼無里~白馬

長野 > 鬼無里 > 白馬 > 安曇野、っとドライブしてきました。

鬼無里へ向かう国道406号線沿い、裾花ダム。

全面結氷 .+゜(・∀・ )

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長野市街地から30分ほどで鬼無里へ到着。

禅宗松巌寺。鬼女紅葉の菩提寺です。

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鬼女紅葉
平安中期、源経基(897-961?)の寵愛を受けたとされる美女。
正妻を呪詛したとの嫌疑をかけられ戸隠へ追放、山奥で都恋しさに心乱れた紅葉は鬼女と化し、野盗を率いて付近の村を荒らし回り付近の人々から恐れられました。
この噂は都にまで伝わり、平維茂が紅葉討伐の任を受けます。
維茂の軍勢は一度は敗れたものの、別所の北向観音(現上田市)に参籠祈願した末に降魔の剣を授かり、これにより紅葉を討ち果たしました。
この出来事により、鬼がいなくなった里としてこの地は鬼無里と呼ばれるようになります。
そして、彼女の守護仏地蔵尊を祀り『鬼立山地蔵院』としたのがこの寺の縁起とされています。

・・・これってさ、結局のところアテルイや八面大王と同じですよね。

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境内には紅葉の墓があります。

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五輪塔の小ささが、彼女の不遇を物語るかのようで。 (・ω・` )

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松巌寺から数kmのところに白髯神社があります。

この神社は天武天皇の鬼無里遷都計画の際に鬼門封じとして創建されたとの伝承があります。

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鬼無里遷都計画
天武天皇(631-686 ?)による、飛鳥(明日香)からの遷都計画に関する伝承。
実際には天武天皇の死後、橿原へ藤原京が建設されました。
計画段階では鬼無里が候補に挙がっていたとの伝承があり、この付近には都にちなむ東京・西京・賀茂などの地名や社があります。
しかし、これは都の偲んだ紅葉が名付けたとも言われ、実際はよく分かりません。
鬼無里の地名も、『遷都計画を知った鬼たちが計画を阻止すべく、もともと平地だったこの地へ土を運んで山地にしてしまい、これに怒った天武天皇が阿倍比羅夫を遣わして鬼を退治させ、よって鬼のいない里ということで鬼無里』、という全く別の伝承も存在します。
まあ、鬼が山を作ったってのは別として、わざわざこんな雪深い山奥に都を移す理由がないのでこの話は現実味がないな、って個人的には思います。
ただ、天武天皇期には朝廷に抵抗した勢力(土着民?)、平安期には中央で失脚し地方で力を盛り返した集団(ひょっとしたら朝廷からの独立を試みた一族?) と中央政権との間で何らかの戦闘があったのではないかと想像したりします。

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ライト級酷道304号線を西進すると北アルプスが見えてきます。

雄大じゃあ! ('∀`)

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標高下がって白馬村。

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国道148号線を南下すると仁科三湖最大の湖、青木湖が見えます。

鉄人兵団を思い出す・・・

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夕刻、ちらっと安曇野ををふらつく。

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今回で八面大王関連資料が揃いましたんで、次回からやっとこさ八面大王史跡レポート開始します。

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2009.01.08

乗り鉄3 (小海線)

年末の乗り鉄、ラスト。

小海線に乗るべく、松本から中央線で小淵沢へ向かいます。

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列車は毎度おなじみ、クモハ115形。

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諏訪湖を右手に眺めながら1時間ほど揺られると小淵沢に到着です。
待ち時間があったので下車してみたら、こんな駅。

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小淵沢駅は八ヶ岳連峰登山の出発駅なので駅前はとても質素です。

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ホームに特急あずさが到着、臨時列車なので旧式の183形。

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冬は、列車待ちの女性が何故だか絵になる季節。

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さて、やっと小海線の発車です。
車両は飯山線と同じキハ110形。

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最後尾運転席デッキから撮影。
八ヶ岳高原をぐいぐい登ります。 いいね、この感じ。

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JR線最高駅、野辺山駅は標高1345.67m。 ヽ( ・∀・)ノ

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清里・野辺山を過ぎて、八ヶ岳ともさようなら。

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小海駅通過。 写ってませんが、ここの駅舎は時計台なのです。

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小海を過ぎると、今度は浅間山が見えてきます。
右下の太いパイプは海瀬駅をまたぐ水力発電の水管。

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住宅街を過ぎて、日も暮れたところで佐久平駅に到着です。

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飯山・大糸・小海線制覇完了。 おつかれさまでした。 ( ゚д゚)y-~~ 

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おまけ。
上田駅前、恒例の冬のLEDイルミネーション。

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こーゆー写真は1人で撮ってると、なんだかなー。

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2009.01.04

乗り鉄2 (大糸線)

年が明けてしまいました。おめでとうございます。

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今年は幸多き年でありますように。

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乗り鉄の続き。

糸魚川レンガ車庫。夜半からの風雨で濡れています。

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1922年(大正元年)建築の赤レンガ車庫はいまだ現役。
ですが、長野新幹線→北陸新幹線 延伸時には撤去予定だそうです。(・ω・` )

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さて、いよいよ大糸線です。車両は、キハ52形の1両編成。
国鉄カラーが渋いぜ。

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40年前の車両だけあっていろいろレトロ。
ガキの頃あったなー、この栓抜き。

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姫川をガタゴトと遡ります。
うーん、よくこんなところに線路を敷いたもんだ。

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南小谷駅。JR西日本からJR東日本へ管轄が変わるので乗り換え。

ここから電化区間、E127系車両です。

2両編成で手前がクハE126、奥側先頭車両がクモハE127。
型式のEはJR東日本のEastの頭文字。覚えておくように。

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白馬を過ぎると仁科三湖が見えます。

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さらに安曇野を過ぎて終点松本駅に到着。

まつもと~まつもと~、っていうアナウンスがいいよね。

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つづく。

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