お諏訪さま
はい、今回は諏訪大明神こと諏訪大社巡礼です。
下の写真は、諏訪湖に浮かぶ『本朝二十四孝狐火の段』、諏訪法性の兜を担ぐ八重垣姫。
ピントが雪見灯篭に合っているように見えるのは気のせいでござんす。
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えー、本題に入る前に諏訪大社の基礎知識をば。
諏訪大社ってのは、上社・下社に分かれておられまして、さらに上社は本宮&前宮、下社は春宮&秋宮、計4つの社に分かれておられます。
で、諏訪大社の興りは何時の頃かざっくばらんに申し上げますと、よく分からないのです。
分からない、というのがどういうことか説明致しましょう。
平安期の延喜式神名帳の名神大社(当時の最高位)に、『南方刀美神社(ミナカタトミノカミノヤシロ)』 との記述があり、これはどうやら諏訪大社のことを指すようです。
ということは、諏訪大社は平安時代以前から存在していたわけですね。
じゃあそれ以前の記録は無かったのかと言うとそうでもないようで、日本書紀に持統天皇(645-703)が風雨鎮護のため須波(スワ)の神へ勅使を使わしたとの記述があります。つまり飛鳥時代まで話が遡る訳です。
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えー、テキストばっかじゃダルいと思いますので続きは後回しにして、下社秋宮です。
その名の通り下諏訪町にあり、諏訪湖北岸に位置します。
極太注連縄の掛かった神楽殿。
拝殿と左片拝殿及び右片拝殿。
境内に温泉が湧いてます。 御神湯♪
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・・・話を戻しますか。
飛鳥まで話が飛びましたが、ここで改めて諏訪大社の主神についてお話しましょう。
諏訪大社の御祭神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)&八坂刀売神 (ヤサカトメノカミ)の夫婦神です。建御名方神というのは、大国主神(オオクニヌシノカミ)の息子であり、古事記にある国譲り神話に登場します。
神話では、天津神の代表である建御雷之男神(タケミカヅチオノカミ)が、国津神の代表である大国主神に国の統治権をよこすよう迫った時、大国主が
「息子の八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)がOKって言うならいいんじゃないかな?」
と、お役人のような回答をするので、建御雷之男神が八重事代主神を捕まえて問いただすと、
「OK、あげるよ fuck you!」
と、建御雷之男神を呪いながらトンズラしました。
大国主はさらに
「他に文句のある奴、いるかな?」
と皆に聞いたので、八重事代主神の弟の建御名方神(体育会系)が、
「ええぃ、漢なら拳で語れぃ!」
と、建御雷之男神に掴みかかりましたが返り討ちに合い、スワの地へ逃げ込みました。
「ずっとここに引き篭もってますから、カンベンしてください」
と建御名方神が詫びて諏訪大社ができたとのことです。
・・・てことは、神代にはすでに諏訪大社(の前身)が存在していたようです。
実際のところは、縄文(!)からの土着信仰が大和政権の神話に組み込まれて生まれた神社なのではないか、ということだそうです。
ね、結局よく分からないのですよ。
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はいはい、下社春宮です。
下社は奥さんの八坂刀売神がメインの御祭神で、春(2月~7月)はこちらにおられるので春宮といいます。
これは下馬橋。
殿様だろうがお公家さんだろうがここからは徒歩です。
ま、駐車場はこの先なんですが。
大鳥居。
秋宮と造りはほぼ同じです。
神楽殿。剣道教室?の子達が御祈禱受けてました。
春宮から徒歩5分ほどにある万治の石仏。
由来不明のミステリアスな石仏。(*´д`)
つづく。
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